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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1701号 判決 1979年8月27日

原告 渡部次男 ほか一名

被告 国

代理人 成田信子 永田英男 ほか四名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事  実<省略>

理由

一  薫の拘置支所入所から死亡に至るまでの症状経過等について

<証拠略>を総合すれば次の各事実が認められ、その認定を覆すに足りる証拠は存しない。

1  薫は、昭和四七年九月一日午後四時すぎ窃盗刑事被告人として会津若松警察署から拘置支所に移監入所したが、その際護送担当者からの申し送り事項及び薫の申述等により、薫は幼児のころから気管支喘息に罹患し、メジヘラーを常用していることが判明したが、外見上は、体格が小さく痩せているとは感じられたもののその他特段の異常は認められなかつた。そして拘置支所の第一舎第七房に勾留された薫は同日夕刻喘息発作を起こし、居房のドアを内側からノツクして担当看守に、自らが入所時に携帯してきたメジヘラーを要求し使用したが、その後は特に異常も認められず、同日午後九時以降は発作もなく就寝した。なお、同日は嘱託医である穴沢医師が出張のため、連絡はしたものの来診はなかつた。

2  同月二日、穴沢医師が拘置支所の要請で薫を診察したところ、喘息特有のラツセル症状があり、鼻をくすんくすんいわせていたものの、顔色は良く、言葉も明瞭で、チアノーゼ症状及び呼吸困難もなかつたことから、中等度以下の喘息と判断し、それを参考に拘置支所は薫を投薬治療はするが通常の日課を課する非休養患者として扱うことを決定した。また、右診察に際し、薫は穴沢医師に対し、子供のころから喘息で、竹田病院に何回か入院したこともあり、その際薬物の静脈注射等の治療を受けたが、自分に最も効果があるのはメジヘラー系の吸入薬である旨申述し、前記の診断結果からみて穴沢医師は、以後メジヘラーとイソパールP錠とを併用して治療することにした。同日夜は、薫は喘息発作に悩まされているような様子で、担当看守が居房をのぞく度に寝る位置が変わつており、午後一一時三〇分ころようやく伏臥した状態で就寝した。

3  同月三日から死亡した日の前日である同月一六日までは、薫は発作を起こし何回となくメジヘラー、あるいはアロテツクを使用したが、その他特に変わつた点は認められなかつた。すなわち同月六日穴沢医師が薫を診察したが、特に変化は認められず、ただ、同月二日に与えたメジヘラーが同月四日には消耗し、新たに差し入れられているので、その使い過ぎを注意したところ、薫は自分の身体は自分がよく知つているので大丈夫だと答えていた(メジヘラー一個で、約一〇〇回使用でき、一日の使用回数は三ないし五回と制限していたものである)。なお、右診察以降、メジヘラーに代わつてアロテツクが使用された。そして、同月一三日の穴沢医師の診察の際も薫に特に変化は認められず、むしろ、症状が良くなつてきていると見受けられ、同月一六日には、薫は、午前九時から二五分間拘置支所の廊下で運動もし、その際、看守と雑談し、たまたま拘置支所に来ていた穴沢医師に対しても発作が遠のいた旨話しをし、顔色もよく言葉も明瞭であつた。さらに、原告次男が、同月四日、六日、一三日、原告ワキが同月九日、一二日に薫と面会したが、薫は特に異常を訴えることもなく、同月四日には、同月二日から苦しくなつていると述べてはいるものの、その後の面会の機会には苦痛を訴えることもなく、同月九日の面会の際には、原告ワキの「身体の方はいいのか」という問いに対して「変わりない」とだけ答えているし、薫と拘置支所で四、五回接見した前記刑事被告事件の弁護人富岡秀夫弁護士も、薫は憔悴しているようには感じたものの特に発作を起こしているという急迫感はなく、勾留の執行停止の必要性に迫られることもなかつた。また薫の前記刑事被告事件の第一回公判が同月一四日に開かれたが、出廷した薫は、はきはきとしやべり、変わつた様子もなく、傍聴席の原告らからみても元気そうに感じられる状態であつた。

ところで、薫に対してはメジヘラー、アロテツク各二個が与えられ(同月一四日に、アロテツク一個が差し入れられている)、薫が居房のドアをノツクして要求すれば使用を許しているような状態であつたが、その際も、喘鳴、咳等特段の異常は見受けられず、普通とあまり変わらないような様子であつた。

4  同月一七日、薫は朝食(午前七時四五分から)は八分くらい喫食し、午前八時三〇分からの舎房及び衣体捜検の際も何ら普通と変わつたところはなかつた。そして午前一一時三〇分からの昼食も、八分通り喫食し、正午からの午睡の時間も、いつものように臥具に寄りかかつて休んでいた。ところが、午後一時五〇分ころ、薫が居房のドアをノツクしたので担当の広田看守が、居房の視察孔から中を覗いたところ、薫はいつもの様子と異なり、息づかいが荒く、顔色も黒ずみ、居房の扉の近くに前かがみで立つて「苦しいから出してくれ」と苦痛を訴えたので、右広田は直ちに柿崎に電話連絡したところ、柿崎は直ちに薫が勾留されている居房に来て扉を開いたが、薫は「苦しいから出してくれ」と訴え、その様子の異常さに医師の診察の必要を感じた柿崎は、その場は一旦右広田に任せ直ちに事務室に戻り、嘱託先の穴沢病院に電話連絡をして来診依頼をするとともに、拘置支所長鈴木隆雄にも電話連絡をし、同一時五五分ころ再び薫が勾留されている居房に戻つてきたが、その間も薫は非常に苦しそうで、扉にもたれかかるようにして「おつかない」「出してくれ」と右広田に訴えており、戻つてきた柿崎が扉を開けると薫は「おつかない」と言つてしがみつき、だんだん苦しくなるような状態で、柿崎は、より広い場所の方が気分転換にもなりまた医師の診察も受けやすいであろうと考え、右広田と二人で薫を両脇から抱えるようにして職員仮眠室へ連れていつたが、そのときの状態は顔色は土気色でどす黒く唇も極端に黒ずんでおり、右仮眠室の入口あたりで薫は再び柿崎に「おつかない」といつてしがみつき、その後、仮眠室に布団を敷きその上に寝かせたが、薫はもはや身体の力がなくなつたような状態で、柿崎が脈をみると大分弱つていたので、心臓マツサージをしたが結果が芳しくなく、その後、ハワード式の人工呼吸が柿崎らによつて交替で続けられたが、その途中、同二時五分ころ遂に薫は気管支喘息による窒息が原因で死亡した。

なお、拘置支所から電話連絡を受けた穴沢病院の穴沢[口禾]光医師は、酸素ボンベ等の用意をして看護婦一名とともに同二時二〇分ころ拘置支所に到着して薫を診たが、まだ体温は残つていたものの、心音停止、脈博触れず、全身チアノーゼ、瞳孔完全散大、対光反応なしの状態で既に死亡しており、死亡時刻については、医師としての総合的判断から同二時五分としたものである。ところで、死亡当日である同月一七日の薫の状態について、<証拠略>には右認定と異なり「昼ころより喘鳴と呼吸困難がありメジヘラー連用するも効なく……」なる記載があるが、その記載をした穴沢医師、及び穴沢[口禾]光医師は直接自己の経験に基づいて記載したものではなく、また拘置支所の看守からの詳しい事実経過等の報告を受けそれに基づいて記載したものでもないことが、<証拠略>により認められるので、その記載内容をそのまま採用することはできない(なお、以上認定の各事実中、薫が同月一日以降同月一七日に死亡するに至るまで拘置支所に勾留されていたこと、及び同月一七日拘置支所内で気管支喘息による窒息死を遂げたことについては、当事者間に争いがない)。

二  薫の過去の喘息発作時の状態等について

<証拠略>を総合すれば次の各事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。

1  薫は、幼い時から風邪をひきやすく、二歳ころから小児喘息に罹患したが、高校卒業時まで大した発作等もなく、せいぜい年に二、三回風邪をひきその際、喉がおかしくなる程度で飲み薬で治つていた。なお、薫は高校卒業のころから、メジヘラーを使用して、自ら喘息発作の処置をするようになつていた。

2  薫は、高校卒業の年である昭和四四年六月末ころ、重い発作を起こしたことがあり、その時は、夕方荒い呼吸で帰宅し床についたが、翌朝「苦しくて寝られなかつた」と言い、ふらふら歩いて母親に「おつかない」と言つて抱きつき、その時は汗をかき唇は紫色で顔色は蒼白くますます悪くなつていつたが、父親が数キロメートル離れた親戚にオートバイでメジヘラーを取りに行き、戻つてきてそれを使用したところ間もなく回復した。

3  昭和四四年一二月三一日の夜、薫は風邪ぎみで呼吸も普通とは異なつていたところ、夜おそくなつてメジヘラーを使用したが回復せず、翌同四五年一月一日午前二時ころ竹田病院に行き治療を受けたが回復せず、同日午後五時再び竹田病院へ行き、そのまま入院したが、その際の薫は、唇に軽度のチアノーゼが表われ喘鳴強度という状態で、次第に呼吸困難となり、ステロイド剤であるプレドニンも使用されたところ、翌二日になつてようやく回復し、同日の朝食も二分の一ほど喫食した。なお、発作が起こつてから薫は、その時まで、ほとんど食物を口にしていなかつた。

4  さらに、昭和四六年一二月一二日にも重症発作が起こつたが、この時は、同日の朝から呼吸が苦しく、夕方になつて呼吸困難が増強してきたので、同日午後九時四〇分に竹田病院で治療を受けて帰宅して寝ていたところ、結局回復するに至らず、翌一三日午前一時一〇分同病院に入院したが、同一時四〇分ころには、喘鳴強度、呼吸困難、チアノーゼの症状を呈しており、この時もステロイド剤のプレドニンの注射等により回復し、翌一四日に退院した。

なお、この場合も、薫は発作が起こりはじめてからは、食物を口にしていない。

5  薫の重症発作は、右の三度くらいであるが、いずれも当初は肩を上下させてゼーゼーという音を伴い普通とは異つた荒い呼吸をし始め、次第に呼吸困難となつていき顔色も変わり、唇も紫色になつていくが、そのような状態になるまでにはかなりの時間がかかつている。

なお、薫は発作時に咳はしない。

三  気管支喘息について

<証拠略>によれば次の各事実が認められ、右認定に反する証拠は存しない。

1  気管支喘息は喘鳴を伴なつた発作性呼気性の呼吸困難であり、その程度も病気の軽重を決める要素になり得、重症になれば起座呼吸をするようになり、普通人にも外観上発作の発生がわかる。

また、その要因は多種多様で、環境、気候の変化、一日のうちの時間の違いから心理的な要因まで挙げられている。

2  発作の発現形態は千差万別であり、同一人でも同じ発作の発現形態をとるとは限らない。また、発作が起これば食事などはできなくなる。

3  発作に対しては、気管支拡張剤であるメジヘラー等の使用で回復する場合もあるが、重症の発作の場合にはステロイド剤の使用等も必要とされる。

ところで、メジヘラーの連用は心臓に負担をかけるので避けるべきであるが、長期間使用していると耐性ができ、少量使用しても薬効はなくなつてくる場合がある反面、多量に使用しても生命に悪影響を与えなくなる。しかしまた、薬効がなくなつても、癖のように使用する患者にとつては心理的効果により結果的には発作が治まる場合もある。

4  気管支喘息であつても、発作そのものが重篤で死亡に至る場合があり、生命の危険を伴なう重症発作の症状としては、喘鳴、呼吸音の減弱ないしは消失、チアノーゼの出現、呼吸困難の増強、咯痰排出、咳嗽の停止、意識障害などが挙げられる。

また、発作の最も重篤な状態として発作重積状態があるが、これには気管支拡張剤は全く効かず、呼吸困難がきわめて高度なことが多く、そのような発作が二四時間以上続いている状態を言うとされており、右状態への移行の原因のひとつとして軽症発作を十分に寛解させなかつたことが挙げられ、寛解しない場合は速やかに入院治療の方法がとられるべきと言われている。

5  喘息患者にあつては、発作が発生して一時間以内に窒息死に至る例もあり、また突然の大発作による急死例も報告されている。

四  薫の死について

以上、一、二、三認定の各事実を総合するならば、薫は、昭和四七年九月一七日午後一時五〇分ころ、予期しえない突然の大発作が起こり、発生後わずか一五分という短時間で急死したものと考えざるを得ない。

すなわち、薫の拘置支所入所以来の症状経過からすれば、入所当初は環境の変化、あるいは気候の変化により発作に苦しんだが次第に環境にも順応し、症状も落ちつき、二週間余りの間、気管支拡張剤のメジヘラー、アロテツクの使用で発作が治まつており、特段重症の発作が発生(あるいは移行)したこともなく、むしろ症状は好転していたとも考えられ、このことは、メジヘラー、アロテツクの消費期間が延びてきていることからも窺える。もつとも、メジヘラー、アロテツクの使用量はかなり多いが、薫はメジヘラーを昭和四四年三月ころから使用しはじめており、耐性ができるとともに使用が習慣化されていると考えられ、使用量の多さから直ちに発作自体が寛解せずに連日断続的に発生していたと結論することはできない。従つて、軽・中等度の発作が寛解しないために重積状態に移行したとする原告らの主張は採用できない。また、メジヘラー、アロテツクによつて薫の発作は寛解していたと考えられる以上、生命の危険を念頭においた専門病院での入院治療の必要性は、少なくとも、重症発作の発生した前記日時までは考慮の範囲外と解される。

五  国の責任について

1  拘置支所の医療体制の不備について

拘置(支)所が、その収容者の生命、身体の安全のための適切な医療体制を整え、適切な医療行為を行なうべき義務を負うのは当然のことではあるが、医師を常駐させておかねばならない法的義務はなく、またあらゆる病気を想定して緊急時に必要な医療設備を設置しておくべき法的義務もない。

本件拘置支所は、<証拠略>によれば次のような医療体制をとつており、完全ではないにしても、拘置(支)所としては不備であるということはできない。

すなわち、拘置支所は医師を常駐させていないので、同所から一キロメートル足らずのところにある穴沢病院と委託契約を結び、右病院の医師(主に穴沢医師)を非常勤職員として毎週水曜日に収容者の定期診察を実施し、その他急患が出る等必要に応じて来診を要請する体制をとつており、新たな収容者に対しても必要に応じて随時来診要請をして健康診査を実施するのであり、また、看護人の資格のある柿崎が保健助手として、収容者に対する家庭治療程度の治療、投薬を行ない、収容者からの申し出があれば穴沢病院に連絡して診察を受けさせ、当然のことではあるが、症状によつては他の専門医の診察を受けさせたり、病院移送を行なつたりする場合もある。なお、急患のばあい救急車の要請も行ない得るが、医師の診察を受けるまでの時間を考えれば穴沢病院へ連絡して来診を受けるのと変わりなく、従来は専らその方法をとつていた。

ところで、薫の死は前記四記載のごとく突然の大発作によつてもたらされた急激なものであり、右の医療体制のもとでは事実上医療措置を施すことが不可能であつたといわざるを得ないが、右に述べたところから、直ちにこれを拘置支所の医療体制の不備ととらえることはできない。

2  拘置支所長鈴木隆雄の過失について

<証拠略>によれば、右鈴木隆雄は、前記1記載の医療体制のもとで、拘置支所職員に対し、薫が喘息に罹患しているので注意して視察すべき旨訓辞し、視察がしやすいように、薫の居房も看守担当台の近くに決定したのであり、拘置支所長としては、その行為に欠けるところはないものというべきである。

また、薫について拘置支所入所以来死亡直前の大発作の発生時点まで、病院への入院等の必要性がなかつたことについては前記四記載のとおりであり、急患発生の場合の処置については前記1記載の事情があり、右鈴木隆雄が、薫を病院等に入院させず、急患の場合は、まず救急車等を手配して病院へ搬送すべき旨の指示をしていなかつたとしても、それをもつて過失ということはできない。

3  拘置支所職員看守部長柿崎の過失について

薫の拘置支所入所以来の症状経過は前記一記載のとおりであり、死亡直前の発作に至るまでは、症状の急変あるいは死を予期しうるような症状変化はなく発作は寛解しており(前記四記載のとおり)、従つてその段階で、保健助手である柿崎が、薫を病院へ入院させる等、何ら特段の行為をなさなかつたとしても、それを過失ということはできない。

そして、薫が異常を訴えた死亡当日の午後一時五〇分以降の措置にも欠けるところがあるとはいえず(前記一記載の措置)、穴沢病院への来診依頼も、前記1記載の事情からすれば過失と解することはできない。

4  拘置支所非常勤職員穴沢医師の過失について

薫の診察治療状況及び薫の症状経過については前記一記載のとおりであり、前記四記載のように薫は死亡直前までは発作は寛解していたと考えられ、従つて穴沢医師の治療方針治療方法に誤まりはなかつたと解される。また、薫について入院の必要性は死亡直前までなかつたものであることについても前記四記載のとおりであり、その以前の段階において入院の指示をしなかつたことをもつて過失ということはできず、<証拠略>によれば、穴沢医師は最初に薫を診察した際、柿崎に対し、薫が呼吸困難となり唇が蒼くなつたら直ちに連絡するように指示していたものであり、前記三記載の事実を勘案すると、右指示にも欠けるところがないといわなければならない(なお、穴沢医師が拘置支所の非常勤職員であることについては、当事者間に争いがない)。

5  会津若松区検察庁検察官事務取扱検察事務官椿剛吉の過失について

薫の死は、前記四記載のごとく、予期しえない突然の大発作によるものであり、これは勾留自体とは相当因果関係にないものというべく、勾留に関わる右椿剛吉の行為(作為、不作為)が、薫の死に対して過失と評価されるいわれはない。

なお、勾留の執行停止、保釈の決定は裁判所がその判断で行なうものであり、検察官に意見を述べる機会があり、その意見が事実上裁判所に尊重されるとしても、それは裁判所の判断とは相当因果関係がないと解さねばならない。

さらに付言するに、成立に争いのない<証拠略>によれば、薫は勾留事実のうち、共謀に関する部分及び、実行行為者に関する部分につき、共犯者の渡部君雄(薫の実弟)と当初供述内容を異にしていたのであり、また第一回公判前の段階でもあり、罪証隠滅のおそれは存在するものといわなければならない。

6  会津若松簡易裁判所裁判官加藤英継の過失について

薫の死と勾留自体との間に相当因果関係がないこと、また、薫には勾留事実につき罪証隠滅のおそれが存在したことについてはいずれも前記5記載のとおりであり、従つて右加藤英継が保釈請求却下決定をなしたことにつき薫の死に対して過失と評価されるべき点は何ら存しない。

7  薫の死は、前記四記載のごとく突然に発生したものであり、両親である原告らにとつては不意の出来事で同情を禁じえないが、また同時に被告国(拘置支所、穴沢医師等)にとつても予期しえない突然の出来事であつたといわざるを得ず、前記1ないし6記載のごとく、被告国に責任を負わせることはできない。

六  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなくいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 麻上正信 板垣範之 出口尚明)

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